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太平洋の奇跡 エキストラ体験記 〜 その4

 

序文:心の狭い、いい歳したおじさんのくだらないお話なので時間の無い方は飛ばして下さい)
日本映画の撮影が行われるとの情報を頂き、「これは話のタネになる!!」と思い早速エキストラに応募させて頂いたのですが、身長体重を素直に書いたのが悪かったのか全く採用されない状態で腐ってた時に、「明日の撮影に急遽人が要る。」との連絡を受けました。時間に融通のきき易い私ではありますが、この日だけはのっぴきならない予定が入っており、自分のこの撮影との縁の無さを痛感しておりました。
再募集のお知らせがあり、今度はすでにエキストラとして“活躍”されている方の名前を出して「仲間なので参加させて下さい。」と、特に説得力の無いアピールをしましたが撮影日前日夕方6:00になっても連絡が頂けず、「今回も駄目だったかぁ・・・」と諦めP.C.の電源を切り、ワールドカップ日本代表の応援会場に向けオフィスを後にしたのでした。
日本代表と共にパラグアイと戦っていると、先述のエキストラとして“活躍”されている方からご連絡頂き、「今連絡が入ってきたよ」との事。「何でこの時間に?」と憤慨してその場は不参加表明。日本代表も惜しくもその先は不参加という残念な結果となり帰宅しました。帰宅後、深夜にも拘らずもう一人の“活躍”されている方から連絡を頂き、またまた不参加表明をしたのですが、丁寧に連絡が遅れたお詫びと共に集合場所を知らせるメールを読み返すうちに「やはり行っとかねば」という気持ちが湧き上がり、[yappa iku] とお2人にSMSを入れ眠りにつきました。 (序文終わり)

6月30日朝、早速連絡を頂き、待ち合わせ場所を決めピックアップして頂き現地へ。
今回はサタヒープのタイ海軍基地内での収容所の場面を撮影するとか。事前に聞かされていた体験記の段取り通り「汚され」セットへの移動を待ちます。その際に休む間もなく動き回っておられるエキストラ募集担当の助監督の姿を目の当たりにし、この状況下では、メール1通送る事が非常に大変だっただろうと序文中の私が恥ずかしくなりました。途中俳優さん達が昼食を摂っておられるテントに立ち寄るとたくさんの俳優さんの方から前出の2人に挨拶が有り、続けて私達にも笑顔で挨拶頂き、緊張が和らぐのを感じました。そこで自分が緊張していた事に気付きました。

セットに移動(ここからが本編かも)。本日は収容所の民間人が戦争終結の玉音放送を聞くシーンの撮影です。タイ人エキストラが多い中、我々日本人エキストラをいい(映りそうな)位置に配置してくれます。最初のシーンは、女性中心のシーンで、日陰から炎天下で迫真の演技をされている女性エキストラの皆様を見学させて頂きました。「へぇ〜、ほぉ〜、ははぁ〜」の連続でした。セット、スタッフ、機材、俳優、エキストラと目の前にある全てが始めての体験でした。その後私にも動きのあるエキストラの役を頂き、自分では完璧だと思える演技をしました。小学校卒業の茶話会でのドラえもんの役以来の迫真の演技でした。演技というものは恥ずかしくて、恥ずかしいが故にモジモジしたり、しらけた振りしてというのが私のイメージでしたが、いざとなると自分の仕事として真剣に演技が出来たのは大人になった証なのでしょうか。

その後、7月8日、9日と撮影に参加させて頂きましたが、3日とも楽しくて楽しくて一生の思い出となりました。感慨深かったのはこのタイで、日本人、タイ人、そして米兵役のアメリカ人がこの映画の成功を目指して自分の役割を果たし、仲間の役割を理解し、過酷な状況下で生き生きと仕事されていた事でした。。タイにいる外国人にとって必須となるタイ人との連携も、時にいろんなトラブルから疎かになったり完全に分かれていたりする事が多いように感じる私にとって、非常に刺激的な光景に映りました。これも平山監督の想いを助監督はじめ、俳優さん、スタッフの皆さん、我々エキストラとして参加させて頂いた皆が感じて、「最高の映画を自分達で創り上げる」という目的が生まれたからだと感じます。

この撮影を通じて知り合ったエキストラの皆さんありがとう御座いました。そしてお疲れ様でした。こんな貴重な体験を一緒に出来た事を嬉しく思います。
最後に、この体験記を書かせて頂いている週末にとうとうクランクアップだと聞いております。監督はじめ関係者の皆様お疲れ様でした。この映画の成功を祈願しまして、駄文〆させて頂きます。


牛島雄一
 

 

映画「太平洋の奇跡」の撮影風景は、アルバムページにてご覧いただけます。

 

 

     

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